地元を愛する新郎の思いが叶えた、ふるさと結婚式
ご両親が挙げた神社とホテル&海の家でビーチウェディングパーティー!
地元を愛する新郎の思いが叶えた、ふるさと結婚式
ご両親が挙げた神社とホテル&海の家でビーチウェディングパーティー!
お二人との出逢いのきっかけは2015年の年末に私のお世話になっている方が催した忘年会。そこに参加されていたのが新郎のお母様で、「息子の結婚が決まったんだけど・・・」というご相談からお会いすることになったのが、太平さん&良子さんカップルです。
それが、2016年6月と9月に実現した壮大なウェディング&パーティー計画のスタートでした!
ふるさとを愛する新郎の思いを実現したい!
今は都内に住む新郎と会ったのは年が明けて2月のことでした。明るくて笑顔の素敵な新郎のお話を聞いていくと、「地元」への愛がひしひしと感じられてきました。
まず6月にご親族だけで、新郎のご両親が結婚式をした神社とホテルで、自分たちも同じように結婚式を行いたいということでした。新郎としては、心配をかけた両親の想いをくみ取り、そうしたい!と思ったそうで、ぜひ実現させたいと私も思いました。
ただ、そのホテルは10年ぐらい前から結婚式や披露宴を行っておらず、専門のスタッフもいません。団体の観光客の配膳はやっても披露パーティーはお受けしなくなったと、ホテル側から何度もお断りされていたそうです。
そこでお二人は改めて、「ちゃんとウェディングを創っているプロの人がプランナーとして入るからお願いします!!」とお話をされて、それであればと了承して頂ける事になりました。
両親が結婚式をした場所で結ぶ新しい両家の絆
ホテルに何度も赴き、女将と打ち合わせを重ねました。
そのホテルは海沿いにあって、カーテンを開くと目前に海が見える会場でした。
新郎のお母様は、ご自身の披露宴の入場時に「長持ち唄」で入場し、乾杯後その海が見える様子に感動したことを今でも覚えていると話されていたので、新郎はその想いを叶えてあげたかったのです。
地元での挙式と披露宴は地元にいる家族や親族への恩返しとなるものでした。
帰国子女でもあり、お仕事も頑張っている新婦のご実家は鳥取。
東京で出逢った二人は、鳥取に住む新婦のご両親やご兄弟家族を茨城に招待することで、両家の親族同士の交流を図ることもテーマにされました。
茨城に泊まって頂くことで新郎の生まれ育った地元を知っていただく役割も結婚式で果たせたのです。
海の家でウェディングパーティー!
夏には地元で海の家を経営されている新郎のご両親。
ウェディングパーティーはその海の家で行いたい!!というのが大きな目的でした。
友人、知人、お世話になっている方々、総勢100名をご招待するウェディングパーティー!
思い切ってパーティー前に新郎に「想い」を書いて頂きました。
そうしたら本当に熱い想いが溢れた文章が来ました。
一部を抜粋してご紹介します。
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会場の茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦海岸は今から約30年前、日本一の来場数を記録した事もある日本屈指の海水浴場でした。
かつては海岸の景観が似ている事から「東洋のナポリ」と呼ばれ、全国から海水浴客やサーファーが数多く集まる海でした。
▲1984年(昭和59年)の阿字ヶ浦の写真
▲ひと夏で322万人もの来場が!
新郎は今年で30歳になりますが、日本一の来場者を記録した年から2年後に生まれました。
小さい頃の思い出といえば、実家の旅館が夏になると出店する海の家を手伝っている記憶ばかりです。
お客さんとおしゃべりしたり、従業員のお兄さん達に遊んでもらったりと、とにかく毎年夏が来るのが待ち遠しく、夏が終わるとびっくりする程寂しい思いをしていました。
そんな阿字ヶ浦の海の沖合で大規模な国際港湾工事が動き始めました。平成元年くらいから沖合には数キロにわたる巨大な防波堤が建造され、潮流や波の変化で砂浜が消えました。
現在は巨額な予算をかけて夏前に人口的に砂浜を運び入れる養浜をしています。
防波堤ができたことで、もちろん波も消えました。
サーフィン雑誌に阿字ヶ浦のサーファーさんが残した言葉があります。
「私たちは無関心で無抵抗だった。海岸に変化が起こっていた頃、このような結果になることは予測出来たにも関わらず、何もせずに眺めていただけであった。悔いが残る…。開発に反対し抵抗したとしても何も変わらなかったかもしれないが、サーファーであるという自覚とプライドを示すべきであった」
本来抵抗しなければいけなかったのはこのサーファーさんではなく、この海で商売をしていた我々だったはずです。この時、海を守れなかったことは明らかに怠慢でした。この年齢になってたくさんの事を学び知って、一層強い後悔を感じています。
そして2011年3月11日、困難は続きます。
あまり報道はされませんが東日本大震災で茨城県も大きな被害を受けました。
風評被害もあり、観光客も輪をかけて減りました。
観光業、旅館業の衰退は免れない状況で、毎年流れていく一方の砂を輸送して補填するのみの「延命措置」では阿字ヶ浦を再生するのは困難である事は誰の目にも明らかです。
過去を嘆くのではなく現状をしっかり見つめ「今できる事」をしっかりと実行する事が将来の阿字ヶ浦再生の確実な一歩になると思っています。
新郎自身もこの海のために何かできないか、気がつくとそんな事ばかりを考えるようになりました。
まだできる事はきっとたくさんある、もう一度阿字ヶ浦を元気にしたい。
生まれ育ったこの浜で結婚式を挙げ、また新しい思い出を阿字ヶ浦でつくる。そして思い出の場所を失わないためにもっと頑張ろうって思えるように。
そんな想いでこの結婚式を考えました。
招待状には家族や大切な人の同伴を歓迎と書きました。小学生以下は無料です(笑)
たくさんの人に来てもらって、来た人の思い出に阿字ヶ浦が残って、そしてまた来てもらえるように。来てくれた子供達にとって初めての海になったら素敵だな、なんて思ってニヤニヤしています。
服装にも悩まなくて済むようアロハシャツを配布する事にしました。
シャツの下は水着推奨です。
食事やお酒も茨城のものを中心に振る舞います。
地元の港町からマグロを仕入れて解体ショーをし、海に来たら食べたくなるかき氷はセルフで食べ放題に・・・。
たくさんの想いや願いを詰め込んでいます。
最高の結婚式になるよう頑張ります。
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地元の仲間たちと創り上げたビーチウェディング
このパーティーは、お二人と友人や地元の仲間が中心となってつくっていくという事もテーマでしたので、私はあくまでサポートで関わる事にしました。
とはいえ、何からすればいいのか?など、細かい事の打ち合わせをして、当日までのコーディネートと浜辺のステージ作りなどをサポートすることに。
進行に関してはあくまでお二人のご友人が進めていくことにしました。
新郎のお母様も自分たちの海の家で行う「大きな、そして大事なイベント」として頑張ろうとされていたので、そのサポートもさせていただき、当日を迎えました。
神前式は6月に親族中心で行っているので、今回は海の家の前で、砂浜と海を背景にした挙式を、前日から新郎友人と新郎お父様で創り上げたステージで執り行いました。
当日は晴天に恵まれ、お二人とご家族にとって大切な1日が始まりラストの夜まで通常ではないロングスケジュールでのパーティーが始まりました。
挙式の後の乾杯の後には思い思いに料理、飲み物を食べながら、ステージにはこの海の家の週末イベントで登場しているシンガーやダンサーなども参加してくれて、楽しい時間を過ごしてもらいました。
「マグロの解体ショー」の後には、新郎新婦による「マグロの入刀」でゲストは大盛り上がり!ゲストみんなで新鮮なマグロの刺身を堪能しました。
その他にも帆立をその場で焼いてくれたり、お肉も焼いてくれたり・・・。
地元の美味しい食材が沢山!!
キャンプファイヤーのごとく火をつけて!!と決まっていたので地元の消防署も協力してくれました。
開放感溢れる空間に都内からお越しの皆さんものんびりと新郎新婦と話をしながら過ごしてもらいました。
第一部がお開きになった後、帰らないといけないゲストはバスに乗って名残惜しく帰路へ!!私たちも見えなくなるまで手を振っていました。
夕日が沈み、第二部へ!!
少し薄暗くなってきたころに浜辺にたくさんのキャンドルをつけて温かい灯をともしました。
そしていよいよお開きへ。
ここで、新郎母から新郎新婦へのサプライズがありました。
地元の仲間とともに花火職人さんにお願いして実現した大きな打ち上げ花火!
花火大会のような尺玉が目の前で上がり、ゲストも大喜び!!
新婦は思わず涙・・・。
新郎お母様も成功した事にとても嬉しそうでした!!
ウェディングパーティーのスタイルは様々であっても、こうして「お祝い」の気持ちが溢れた場に人が「集う」ことに大きな意味があり、夫婦としてのスタートを皆さんにちゃんと披露目する事の大切さを改めて実感したお二人のウェディングでした。
新郎にとって大切なふるさとでの結婚式をお手伝いできたことは、私にとっても大切な想い出の時間となりました。
おふたりからのメッセージ
とにかく楽しかった!自分達が誰よりも楽しんでしまったので、ゲストの皆さんにきちんと挨拶できたかしら・・・ と妻は言っています。
これはおそらく夏に海の家で開催した披露宴パーティーのことだろうと思うのですが、 僕達は親族向けに神前式と披露宴、そして友人向けに海の家でビーチパーティーを行いました。
双方を山本さんにプランニングしてもらい、思い出に残る素晴らしい結婚式ができたと大満足で、その上、身内・友人それぞれからお褒めの言葉をたくさんいただくことがきました!
神前式は、これまで出席した経験がなく不安でしたが、エクラさんには神社と披露宴をするホテルとのやりとりを丁寧にサポートしていただけたのでとても助かりました。
また、エクラのお店には、たくさんの和衣装の用意があり、何点も試着し確認しながら納得して決めることができました。
当初簡単にすませる予定だった親族向けの披露宴は、すっかり豪華なものに仕上げてもらい、格好がつきました。
ビーチパーティーの方も、演出や装飾等の重要なポイントをメインにお手伝いしてくださり、多くのゲストからまるで海外挙式の様だと感激されました。
数ヶ月経った今でも「君たちの結婚パーティーは忘れられない良い式だった!もう一回やってほしい!」と言われるのが僕達夫婦の密かな自慢になっています。
雨予報だった当日の天気は快晴。
最後の打ち上げ花火まで無事に開催することができました。
海の家でのウェディングなんて無茶なお願いでしたが、僕がずっと夢に描いていたビーチウェディングを実現してくださったエクラの皆さんには大変感謝しております。
もし、生まれ変わってまた結婚式を挙げるなら、その時もエクラさんにお願いしたいと思います。
これからも沢山の夫婦の想いを叶えてあげてくださいね。
新郎・T
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